サブカル人生は書を捨て恥を棄てるとこから始まる | 文藝PIERROT

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サブカルに光あれ

ぼくの中ではこの3人が3強。押切蓮介先生はホラーや恋愛も描くのだけれども、口癖が「クソ童貞ども」だしね。なんかもう、こう、ロックだよね。福満しげゆき先生は、便所飯の走りのようなイメージ。鬱々とした青春時代を描くし、ビッチな女性を見ては苛立ち、清楚な女性を見ては劣情を爆発させる。たまらんですね。カラスヤサトシ先生は、モテな過ぎてお見合い企画をシて連敗するほどだった。

お三方のコミックエッセイは非リアならめちゃくちゃ共感することばかりなんだよなあ。筋肉少女帯のオーケンのような、なんていうか、アングラを極めていこうぜ!この世界のリア充どものキラキラした世界に背を向けてさ!っていうね。そういう毒がある。心地よい毒なんだよなあ。 でも、気をつけてほしいのが、このお三方は全員既婚者だってことだよね。

極めれば結婚できるんだよ。趣味への没頭が中途半端だと、趣味人には馬鹿にされリア充には気持ち悪がられる。突き詰めれば認めてくれるひとが出てくる。そういうことなのではないのかしらん、と。

サブカルを突き詰めるにはどうすんの

体験しかない。みんながしたことのない経験をやってみるしかない。本を読んでるだけの人間ははっきり言って薄っぺらい。口ばっかり達者で、それじゃあ響かない。人生とは誰と会ったか、どこにいったか、そして何をしたか。これでのみ価値が決まる。メタルマックスリターンズの主人公の故郷の酒場にいる爺さんがそんなこといってたから、間違いない。

で、体験しただけでいいのかってなると、そうではない。今の時代はそのサブカルな体験、他のひとがしたことのない経験を情報発信すべき。情報発信をすると、それに興味があるひとが寄ってくる。ひとが集まれば何かが生まれる。だいたいそんなもんだ。

うだうだ、ぐだぐだ、狭いつながりでホソボソやっている限りは何も生まれることはないんだよなあ。 バカになるってのは大事。他人の目、それも大衆の目を気にすることほど無意味で非生産なことはない。そんな気がする。